大阪地方裁判所 平成7年(ワ)8209号 判決 1997年11月10日
甲事件原告
森田新一
ほか一名
被告
有限会社三恵屋
ほか二名
乙事件原告
多児崇典
被告
森田新一
ほか三名
丙事件原告
株式会社森田組
被告
多児崇典
ほか三名
丁事件原告
日本火災海上保険株式会社
被告
多児崇典
主文
一 甲事件被告らは、甲事件原告森田新一に対し、各自金五六万八六五〇円及び内金四六万八六五〇円に対する平成六年三月一〇日から、内金一〇万円に対する甲事件被告有限会社三恵屋については平成八年八月一九日から、同事件被告尾上健一については同月二二日から、同事件被告有限会社川元運送については同月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 甲事件及び丁事件被告らは、甲事件及び丁事件原告日本火災海上保険株式会社に対し、各自金三九五万円及び内金三六〇万円に対する平成六年六月三〇日から、内金三五万円に対する丁事件被告については平成九年七月二日から、甲事件被告有限会社三恵屋については平成七年八月一九日から、同事件被告尾上健一については同月二二日から、同事件被告有限会社川元運送については同月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 乙事件被告森田新一及び株式会社森田組は、乙事件原告に対し、各自金二五五万円及びこれに対する平成六年三月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 丙事件被告らは、丙事件原告に対し、各自金二四六二万九九九九円及びこれに対する丙事件被告多児崇典、同株式会社三恵屋については平成九年三月二九日から、同尾上健一、同有限会社川元運送については同年四月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 甲事件原告らの同事件被告ら、乙事件原告の同事件被告森田新一及び同株式会社森田組、丙事件原告の同事件被告ら、丁事件原告の同事件被告に対するその余の請求、乙事件原告の同事件被告尾上健一及び同有限会社川元運送に対する請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、全事件を通じてこれを一〇分し、その四を乙事件原告、丙、丁事件被告多児崇典及び甲、丙事件被告有限会社三恵屋の負担とし、その二を甲事件原告、乙事件被告森田新一の負担とし、その二を甲、乙、丙事件被告尾上健一及び同有限会社川元運送の負担とし、その一を丙事件原告、乙事件被告株式会社森田組の負担とし、その余を甲、丁事件原告日本火災海上保険株式会社の負担とする。
七 この判決の第一項ないし第四項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
(甲事件)
1 甲事件被告らは、甲事件原告森田新一に対し、各自金八一三二万八八三八円及び内金七三八二万八八三八円に対する平成六年三月一〇日から、内金七五〇万円に対する甲事件被告有限会社三恵屋については平成八年八月一九日から、同事件被告尾上健一については同月二二日から、同事件被告有限会社川元運送については同月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 甲事件被告らは、甲事件原告日本火災海上保険株式会社に対し、各自金六五〇万円及び内金六〇〇万円に対する平成六年六月三〇日から、内金五〇万円に対する甲事件被告有限会社三恵屋については平成八年八月一九日から、同事件被告尾上健一については同月二二日から、同事件被告有限会社川元運送については同月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(乙事件)
1 乙事件被告らは、乙事件原告に対し、各自金六三五〇万〇五五〇円及びこれに対する平成六年三月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 乙事件被告森田新一及び同株式会社森田組は、乙事件原告に対し、各自金一二二〇万円及びこれに対する平成六年三月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(丙事件)
丙事件被告らは、丙事件原告に対し、各自金六〇八〇万円及びこれに対する丙事件被告多児崇典、同株式会社三恵屋については平成九年三月二九日から、同尾上健一、同有限会社川元運送については同年四月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(丁事件)
丁事件被告は、丁事件原告に対し、金六五〇万円及び内金六〇〇万円に対する平成六年六月三〇日から、内金五〇万円に対する平成九年七月二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、中国縦貫自動車道上で発生した、甲事件原告、乙事件被告森田新一(以下「森田」という。)運転の車両(以下「森田車」という。)、亡多児フチエ(以下「フチエ」または「亡フチエ」という。)運転の車両(以下「フチエ車」という。)、甲、乙、丙事件被告尾上健一(以下「尾上」という。)運転の車両(以下「尾上車」という。)等が関係した多重事故に関し、森田車及びフチエ車の関係者から計四件の訴訟が提起され、併合された事案である。
一 争いのない事実等(証拠により認定する場合には証拠を示す。)
1 事故(以下「本件事故」という。)
(一) 日時 平成六年三月九日午後七時三四分ころ
(二) 発生場所 兵庫県美嚢郡吉川町大字吉安所属中国縦貫自動車道上り四三・一キロポスト先路上
(三) 関係車両<1> 普通乗用自動車(神戸三三ね九四七〇)フチエ車
右保有者 甲、丙事件被告有限会社三恵屋(以下「三恵屋」という。)
右運転者 亡フチエ
(四) 関係車両<2> 普通乗用自動車(和泉三三ぬ七六四三)森田車
右保有者 森田
運転者 同右
(五) 関係車両<3> 大型貨物自動車(福岡一一き六五九〇)尾上車
右保有者 甲、乙、丙事件被告有限会社川元運送(以下「川元運送」という。)
右運転者 尾上
2 身分関係等
(一) 本件事故により、亡フチエは死亡した(死亡時七二歳)。乙事件原告、丙、丁事件被告多児崇典(以下「崇典」という。)は亡フチエの子であり、唯一の相続人である(乙四1ないし4、五)。
(二) 森田は、本件事故当時から現在に至るまで乙事件被告、丙事件原告株式会社森田組(以下「森田組」という。)の代表取締役であり、亡フチエは本件事故当時三恵屋の代表取締役であった。
3 森田の治療経過
森田は、本件事故により、両下腿骨骨折(開放性)、頭部外傷(外傷性脳内出血)、右下腿挫創、第四腰椎圧迫骨折の各傷害を受け(甲二1、三1、四1、五1、六1、七1、甲一六)、以下のとおりの治療を受けた(甲二ないし七及び一六ないし一九[いずれも枝番を含む])。
(一) 恒生病院
平成六年三月九日から同月一七日 入院
(二) 多根病院
平成六年三月一七日から同年六月一九日 入院
平成六年六月二〇日から平成七年九月四日 通院
平成七年九月五日から同月一二日 入院
平成七年九月一三日から平成八年六月一八日 通院
ただし、通院期間中の実通院日数は合計二三日である。
4 損害のてん補
(一) 森田は、フチエ車・尾上車の自賠責保険より傷害分として各一二〇万円、右後遺障害分として各三三一万円の合計九〇二万円の支払いを受けた。
(二) 崇典は、自賠責保険から亡フチエ死亡による損害のてん補として合計三五七九万五七〇〇円の支払いを受けた。
二 争点
1 事故態様及び本件事故の原因
(森田、森田組、日本火災海上保険株式会社[以下「日本火災」という。]の主張及び反論)
(一) 事故態様
(1) 本件事故直前、フチエ車は、事故現場付近の中国縦貫自動車道上り車線の走行車線(左側車線)を、森田車は、追越車線(右側車線)を走行していた。そして、亡フチエは、走行車線から追越車線へ車線変更するにあたり、フチエ車の後方から追越車線を走行してきた森田車の速度及び森田車との距離の判断を誤り、森田車の前方に進入したため、森田車の左前部がフチエ車の右後ろドア側面に衝突した。
(2) 右(1)の衝突で慌てた亡フチエは左急ハンドルにより回避しようとしたため、フチエ車と森田車の後部が衝突した。
(3) その後、フチエ車は左急旋回右横すべり状態となり、フチエ車を北側のガードロープや遮音壁に衝突させた。
(4) そしてフチエ車は最後の衝突の後、車体左後側面付近を支点として左旋回しながら進行したが、停止する間に右ドアが開き、追越車線上に亡フチエは放出された。
(5) 森田は(1)の衝突のあと、急ハンドルを切ることなく、やや右向き直進状態で森田車を中央分離帯にあるガードレールに衝突させた。その時、追越車線を走行してきた訴外石橋次人(以下「石橋」という。)運転車両(以下「石橋車」という。)は森田車を避けて通過しようとし、森田車との衝突を避けられたものの、その左前方に停止中のフチエ車の左前側部に石橋車の右前部を衝突させ停止した。
(6) さらに、石橋車の後続の訴外野中隆弘(以下「野中」という。)運転車両(以下「野中車」という。)も石橋車同様森田車を避けて通過しようとしたところ、森田車との衝突は避けられたものの、野中車の右前部をフチエ車の右後輪上方車体に衝突させて停止した。
(7) 続いて、尾上車は野中車に追従して追越車線を走行してきたが、森田車を避けきれず、尾上車の前面部を森田車に追突させた。この衝突により森田車は左旋回状態となりながら後退し、停止していたフチエ車後面付近と衝突した。
(8) 尾上車は森田車と衝突する前に、車外に放出された亡フチエを右前輪によって轢過し、亡フチエの身体を引きずりながら森田車と衝突した。
(二) 事故原因
本件事故に関し、森田に過失はない。本件事故の一連の衝突は、フチエが走行車線から追越車線へ車線変更するにあたり、フチエ車の後方から追越車線を走行してきた森田車の速度及び同車との間の距離についての判断を誤り、森田車の前方に進入した過失がそもそもの原因である。そして、(一)(7)以降の衝突及び亡フチエの死亡結果については、尾上が制限速度が時速八〇キロメートルであるにもかかわらず時速一〇八・六ないし一二一・四キロメートルの高速で走行した過失も原因となっている。なお、森田車に構造上の欠陥、機能上の障害はなかった。
(崇典、三恵屋の主張及び反論)
(一) 事故態様
(1) 本件事故直前、フチエ車は走行車線を、森田車は追越車線を走行していたが、追越車線から走行車線に進路変更しようとした森田車の左フェンダー部分がフチエ車の右後部ドアに衝突した。
(2) 右(1)の衝突によるフチエ車の衝突部位と、その衝撃加速、路面湿潤のため、同車の前部は、道路北側のガードロープ、ガードロープの支柱、遮音壁に激突した。一方森田車は、衝突後ハンドルを右に切って追越車線に進入し、道路南側のガードレールに衝突した。
(3) 右(1)記載の衝突により、フチエ車の右後ろドアが凹損し、同車の右前ドアの開閉を保持している支柱(センターピラー)が押し込み変形して、右前ドアのロック機能がその効用を失い容易に開閉する状態となった。そこへ、ガードレールに衝突した後右旋回しながら進行していた森田車の左後部フェンダー下部が、フチエ車の右前部フェンダー部分と衝突し、同車が急激な左回転をしたことにより、亡フチエの身体は右前ドアに体当たりする状態となり、車外に放出された。
(4) 亡フチエは、頭部から車外放出され、森田車の破損した前部に絡まれて東へ移動し、その後、路上に落下して尾上車に下半身を轢過された。
(二) 事故原因
本件事故に関し、亡フチエに過失はない。本件事故の一連の衝突及び亡フチエの死亡は、森田が追越車線から走行車線に進路変更をするに際し、ハンドル操作を誤り、フチエ車の動きをよく注視せず、制限速度を超える速度で走行していた過失によって生じたものである。また、亡フチエの死亡結果の発生については、尾上が、制限速度を超過する速度で走行し、前方を注視していなかったことも原因となった。なお、フチエ車には、構造上の欠陥、機能上の障害はなかった。
(尾上、川元運送の反論)
尾上の走行に過失はない。すなわち尾上車の速度は時速九〇キロメートルを上回るものではなかったし、四〇メートルという前照灯の照射距離から考えて、車間距離として五〇メートル程度とっていたことは至当な走行方法であったし、いくら注視していても前方での事故を発見し、回避することは不可能であった。また尾上車には機能上の障害、構造上の欠陥もなかった。本件事故は、挙げてフチエ及び森田の過失によって惹き起こされたものというべきである。
2 森田の損害
(森田の主張)
(一) 治療費 一五四万七四五九円
(内訳)
恒生病院分 一一六万二七九九円
多根病院分 三八万四六六〇円
(二) 入院雑費 一四万四三〇〇円
入院期間一一一日間にわたり一日当たり一三〇〇円である。
(三) 付添看護料 四万五〇〇〇円
恒生病院入院期間中九日間にわたり一日当たり五〇〇〇円
(四) 義肢代 一三万九五一一円
(五) 休業損害 一八二〇万円
森田の本件事故による傷害は、平成八年六月一八日に症状固定となった。本件事故当時森田は、有限会社森田組(以下「訴外森田組」という。)の代表取締役であり、平成五年一年間に給与として訴外森田組から合計七八〇万円(一か月平均六五万円)の収入を得ていたが、本件事故により就労不能となり、さらに平成六年五月三一日訴外森田組は森田の就労不能により解散せざるを得なくなり、森田は訴外森田組から収入を得ることができなくなった。よって本件事故による森田の休業損害は、平成六年三月から平成八年六月までの二八か月に一か月当たりの収入額六五万円を乗じた一八二〇万円が相当である。
(六) 後遺障害逸失利益 五六三七万二五六八円
森田(平成八年六月一八日当時四八歳)には、本件事故により自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令二条別表後遺障害別等級表一二級五号(以下単に「後遺障害等級一二級五号」というように記載する。)と一三級九号の後遺障害が残った。したがって、森田には後遺障害等級併合一一級の後遺障害が残っており、生涯にわたって労働能力を二〇パーセント喪失した。森田の本件事故当時の年収は二一四九万円であるから、この金額に右の労働能力喪失率二〇パーセントを乗じて、四八歳から六七歳までの一九年間の新ホフマン係数一三・一一六を乗じた標記金額が後遺障害逸失利益として相当である。
(七) 入通院慰謝料 三〇〇万円
(八) 後遺障害慰謝料 三四〇万円
(九) 弁護士費用 七五〇万円
(一〇) よって、森田は、亡フチエの使用者及びフチエ車の保有者である三恵屋に対して民法七一五条及び自賠法三条に基づき、尾上に対して民法七〇九条に基づき、尾上の使用者及び尾上車の保有者である川元運送に対して民法七一五条及び自賠法三条に基づき、各自損害賠償として八一三二万八八三八円(てん補分を控除)及び内金七三八二万八八三八円に対する平成六年三月一〇日から、内金七五〇万円に対する三恵屋については平成八年八月一九日から、尾上については同月二二日から、川元運送については同月二〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(三恵屋の反論)
(一) 症状固定日について
森田は、平成七年九月五日から同月一二日までの間、入院し抜釘手術をしたが、これによってほぼ症状固定したはずであるから、森田の主張する症状固定日を争う。
(二) 休業損害について
まず、森田の就労不能と訴外森田組の解散の間には相当因果関係はない。訴外森田組は、本件事故後解散され、その暖簾や物的設備等を含むいわゆる営業権は、森田組が承継した。そして、森田組からの森田の収入は訴外森田組の解散後大幅に増額されており、森田は森田組から訴外森田組から得られていた収入を補うほどの収入を得ていたのであるから、森田に休業損害は認められない。
(三) 逸失利益について
森田は、有限会社マニュフエスト・アンド・リサイクル(旧商号・訴外森田組)及び森田組の代表取締役を務めており、二〇パーセントの労働能力喪失率は認められない。
3 森田の債権の消滅時効
(三恵屋の主張)
(一) 森田は、甲事件訴状で、三恵屋に対し、本件事故による損害賠償請求権(民法七一五条、自賠法三条)について、内金一〇〇万円と明示して請求したが、これは明示的な一部請求であるから、右内金請求額についてのみ時効中断の効力が生じ、残額には及ばない。
(二) 平成九年三月九日は経過した。
(三) 三恵屋は、森田に対し、平成九年八月二五日の本件口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
4 森田組の損害
(森田組の主張)
(一) 森田は、本件事故により本件事故日(平成六年三月九日)から平成八年六月一八日までの間休業を余儀なくされた。
(二) 森田組は、(一)記載の森田の休業期間中も、森田に対し、合計金五五三〇万円の給料を支払った。なお、森田組が森田に支払った右給料は、全て労働の対価としての性質を有するものである。
(三) 森田組は、弁護士に訴訟行為を委任し、弁護士費用として五五〇万円を支払うことを約した。
(四) よって、森田組は、事務管理による費用償還請求権に基づき、亡フチエの債務を相続した崇典、フチエの使用者及びフチエ車の保有者である三恵屋、尾上、尾上の使用者及び尾上車の保有者である川元運送に対して、各自金六〇八〇万円及び右金員に対する崇典、三恵屋については平成九年三月二九日から、尾上、川元運送については同年四月一〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(崇典、三恵屋の反論)
(一) 事務管理の成立要件は、義務なくして他人のために支弁した管理費用について、管理者が、本人にその費用償還を求めることにある。本件において、森田組には代表取締役森田に対し、委任契約上報酬支払義務があるのであって、森田組はこのような義務に基づいて報酬を支払ったに過ぎない。したがって、事務管理は成立しない。
5 森田組の債権の消滅時効
(崇典、三恵屋の主張)
(一) 森田組の請求は、給料債権を基にする償還請求権に基づくものであるところ、右償還請求権の消滅時効は、償還請求権の発生した時から一年で完成する。
(二) 森田組は森田に対し、平成六年三月分から同八年四月分までの各給与を支払った。
(三) 右(二)記載の各支払の時期から一年は経過した。
(四) 崇典及び三恵屋は、森田組に対し、平成九年八月二五日の本件口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
6 日本火災の代位権
(日本火災の主張)
(一) 日本火災は、本件事故当時、森田組との間で森田車について車両保険契約を締結していた。
(二) 日本火災は、平成六年六月二九日、本件事故により生じた森田車の物的損害のてん補として時価額六〇〇万円を森田の請求により、森田宛支払った。
(三) 日本火災は、弁護士に訴訟行為を委任し、弁護士費用として五〇万円を支払うことを約した。
(四) よって、日本火災は、商法六六二条に基づき、亡フチエの債務を相続した崇典、亡フチエの使用者及びフチエ車の保有者である三恵屋、尾上、尾上の使用者及び尾上車の保有者である川元運送に対し、各自右保険金及び弁護士費用の合計額六五〇万円並びに内金六〇〇万円に対する平成六年六月三〇日から、内金五〇万円に対する三恵屋については平成八年八月一九日から、尾上については同月二二日から、川元運送については同月二〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(崇典及び三恵屋の反論)
(一) 車両保険契約について、車両全損の場合、車両被保険者である所有者が被保険者となるところ、日本火災は車両所有者ではない森田組に保険金の支払をしても、代位権は生じない。
(二) 車両破損による損害は、事故当時の車両の交換価値により定められるべきところ、右損害のてん補額六〇〇万円は、日本火災と森田組との間で任意に協定した上支払ったものであり、森田車の時価とは一切関係がない。
7 亡フチエの死亡による損害
(崇典の主張)
(一) 死亡による逸失利益 六五五四万六二五〇円
(1) 亡フチエは、死亡前、<1>三恵屋の代表取締役として同社から年収(報酬)九二〇万円を、<2>タニ工芸株式会社の取締役として同社から年収(報酬)一八〇万円を得ていた。
(2) 亡フチエは死亡前、年額で、<1>厚生年金二一三万七四三二円、<2>郵便年金九八万三二六五円を得ていたところ、これらは生活費に充当されるべきものであったので、(1)の年収を基礎収入とする逸失利益の計算にあたっては生活費控除率は二五パーセント(二七五万円)とすべきである。
(3) 亡フチエは、本件事故がなければ少なくとも本件事故当時から一〇年は就労可能であったから、右(1)記載の年収一一〇〇万円から生活費二五パーセントを控除し、一〇年間の新ホフマン係数七・九四五を乗じた標記金額が亡フチエの死亡逸失利益として相当である。
(二) 葬儀費用 二〇〇万円
(三) 死亡による慰謝料 二五〇〇万円
(四) 弁護士費用 五〇〇万円
(五) よって、亡フチエの相続人である崇典は、森田に対して民法七〇九条に基づき、森田組に対して自賠法三条に基づき、尾上に対して民法七〇九条に基づき、川元運送に対して自賠法三条に基づき、各自損害賠償として六一七五万〇五五〇円(てん補分を控除)及びこれに対する事故日である平成六年三月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
8 フチエ車の破損による損害
(崇典の主張)
(一) フチエ車は、事故当時亡フチエの所有であったが、本件事故により大破し、廃車となった。
(二) 本件事故当時の同車の交換価値は一一五〇万円であった。
(三) 崇典は、弁護士に訴訟行為を委任し、弁護士費用として七〇万円を支払うことを約した。
(四) よって、フチエの相続人である崇典は、森田に対して民法七〇九条に基づき、事故当時森田が代表取締役を務めていた森田組に対して同法四四条に基づき、各自損害賠償として一二二〇万円及び事故日である平成六年三月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(森田、森田組の反論)
フチエ車は、並行輸入車であり、正規のルートで売買されたものではないことや、フチエ車と同車種の車両の取引の実情を考慮するならば、崇典の主張する一一五〇万円という交換価値は高額に過ぎる。
第三当裁判所の判断
一 争点1(事故態様及び本件事故の原因)について
1 事故態様を認定する上で前提となる事実
前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲一、一〇ないし一四、検甲一ないし六八、乙一、一九、検乙一1ないし3、二1ないし3、三ないし八、尾上本人、森田本人、日野自動車工業株式会社お客様相談窓口あて調査嘱託の結果、弁論の全趣旨)によれば以下の事実が認められる。
(一) 事故現場の概況
(1) 本件事故現場付近の概況は別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりである。現場は、兵庫県中部をほぼ東西に走る高速自動車国道中国縦貫自動車道上り車線上で、アスファルト舗装された平坦な道路の右に緩やかにカーブした部分であり、本件事故現場付近では緩やかな下り勾配になっているが、障害物等はなく見通しは良い。
(2) また、上り車線と下り車線は、盛土による高低差で完全に分離され、片側はいずれも走行車線と追越車線に区分され、上り車線の幅員は九・八メートルあり、左(北)側から路側帯二・〇メートル、走行車線三・六メートル、追越車線三・六メートル、追越車線側路肩〇・六メートルである。
(3) 最高速度は、兵庫県公安委員会により、可変式速度標識によって時速八〇キロメートルの規制がなされている。
(4) 事故当時の現場付近の明るさは、新聞紙一面・一段分大文字が約二〇センチ離れたところからかすかに読める程度であった。
(5) なお、本件事故当時、天候は小雨で路面は湿潤していた。
(二) 本件事故前後の関係車両の動き
(1) 本件事故当日、森田と亡フチエとは吉川インターから車で二、三〇分のところにある太平洋ゴルフクラブで一緒にゴルフをした後、亡フチエはフチエ車(塗色赤色、箱型車)を運転して、森田は森田車(塗色黒色、箱型車)を運転してゴルフ場を出発した。森田は右ゴルフ場に来たのは初めてだったので、ゴルフ場を出るとき森田車がフチエ車を追いかける形で走行を開始した。なお、森田はゴルフ場を出てから吉川インターの手前四、五キロメートルの辺りまでフチエ車を追いかけて走行していた記憶はあるが、それ以降のことは全く記憶がない。
(2) 石橋は石橋車(塗色銀色メタリック、ステーションワゴン)を運転して走行車線を、野中は野中車(塗色茶色メタリック、ステーションワゴン)を運転して追越車線をそれぞれ走行して本件事故現場付近に至り、石橋は前方に停止しているフチエ車を、野中は森田車を発見してハンドルを左に切ったが、避けきれず、石橋車は別紙図面記載<×>1の地点で、野中車は別紙図面記載<×>2の地点でそれぞれフチエ車に衝突した。
(3) 尾上は、尾上車(塗色青色、バン)を運転し、追越車線を走行して本件事故現場付近に至り、前を走行していた野中車が急に進路変更したため、前方に停止している森田車に気づき、急ブレーキをかけたが間に合わず、別紙図面記載<1>付近に停止していた森田車の右前部に自車の前部を衝突させた。
(三) 本件事故直後の事故現場の状況
(1) 道路北側路側のガードロープが四三・二キロポストの東方二八・七メートル地点から東に向け八・五メートルにわたって損傷しており、同所北側の遮音壁が長さ二・七メートルにわたって損傷していた。
(2) (三)の(1)記載のガードロープの損傷箇所東端前の路側帯上にフチエ車のフロントバンパーが落下していた。
(3) 道路南側ガードレールが四三・一キロポストの西方四一・三メートル地点から東に向け一九・五メートルにわたって損傷しており、同所のガードレール支柱に森田車のナンバープレートが絡みついていた。
(4) 亡フチエの身体は、四三・一キロポストから西方七・〇メートル地点の追越車線南側路肩付近(別紙図面記載<人>1地点)にあった。
(四) 本件事故後の各車両の状況
フチエ車は四三・一キロポストから西方二三・五メートル地点の走行車線上に前部を北向きで進行方向とほぼ直角に停止しており、石橋車はフチエ車の左前角付近の路側帯上に順行で停止しており、また野中車は石橋車の南側走行車線上に停止しており、森田車は、四三・一キロポストから東方三一・〇メートル地点の路側帯と走行車線にまたがるように順行で停止しており、さらに、尾上車は四三・〇キロポストから西方一〇・六メートル地点の路側帯上に順行で停止していた。
(五) 各車両の損傷状況(いずれも事故直後の状況)
(1) フチエ車の損傷状況
<1> 車両全部の損傷状況
前照灯が四灯とも全て破損し、フロントグリル等全体に無数の凹損が認められ、右前部は、〇・二六メートル左前部ライト下部は〇・二メートル押し込まれており、バンパーが脱落し、ボンネットが曲損し、左前部から右後部に向かい無数の擦過痕があり、車両前部全体に僅かに泥が付着していた。
<2> 脱落バンパーの損傷状況
ナンバープレートが中央付近より後方にほぼ直角に折れ曲がり、バンパーは左側より〇・六メートル地点で後方に向かい曲損し、右側より〇・三メートル地点が大きく凹損し、バンパー全体に無数の擦過痕があった。
<3> 車両左側面の損傷状況
フロントフェンダーが車両前部より〇・六三メートル地点まで曲損し、銀色メタリック塗膜片が付着し、リヤフェンダーが車両後部より一・〇メートルないし一・七八メートル地点、地上高一・一三メートル地点の範囲にわたり凹損しており、同リヤフェンダーの車両後部より一・三メートル、地上高〇・八四メートル地点に強い衝突痕があり、同衝突痕の凹損部分全体に茶色メタリック塗膜片の付着があり、後輪の車軸が曲損し、左側面全体に僅かに泥が付着していた。
<4> 車両後部の損傷状況
地上高〇・九二メートル地点のトランク後部角に左側から車両中央付近まで無数の擦過痕があり、地上高〇・六四メートル地点のナンバープレート右側端に擦過痕があり、右テールランプ、ウインカーが破損しており、後部右側端の地上高〇・五一メートル地点及び地上高〇・七八メートル地点にロープ状の凹損があった。
<5> 車両右側面の損傷状況
リヤフェンダーが地上高〇・八三メートル、車両後部より〇・八六メートルの地点にわたり凹損し後輪部分まで多量の泥が付着しており、後部ドアの窓ガラスが破損し、後部ドアが車両後部より二・二六メートル地点、地上高〇・九五メートルにかけて凹損し、同地点の地上高〇・五メートル付近に底辺〇・〇二五メートル高さ〇・〇三メートルの三角形の穴があいており、前部ドアには無数の擦過痕があり、また多量の泥が付着しており、フロントフェンダーは車両前部より〇・七メートル地点で曲損しており、前輪はパンクしホイルは擦過していた。
<6> 車内状況
ダッシュボード中央に白っぽい擦過痕があり、シートベルトには損傷は認められなかった。
(2) 森田車の損傷状況
<1> 車両前部の損傷状況
前部バンパーは脱落し、ラジエターが露出し、ボンネットは盛り上がり曲損し、ラジエター下部右側フレーム下面に油ようのものが付着し、ラジエター下部右前フレーム下面に繊維片ようのものが付着し、ラジエター右下に毛髪が付着し、エンジンアンダーカバー前部が脱落し毛髪が付着していた。
<2> 車両右側面の損傷状況
右前フェンダーは脱落し、ボンネットは右側面から押し込まれ曲破損し、運転席ドア及び後部ドアは破損して、ドア内側が露出し、さらに右側面から〇・五五メートル押し込まれており、運転席側下部スカート部に赤色塗膜が付着しており、後部から一・六七メートル地点の地上〇・九メートル地点に青色塗膜が付着し、その前〇・三八メートル地点の地上〇・五メートル地点に赤色塗膜が付着しており、運転席上部ルーフは押し込まれて破損し、青色塗膜の付着があり、フロントガラス及び右側面ドアガラスが全て破損脱落していた。
<3> 車両左側面の損傷状況
左前輪がパンクしており、左前フェンダー下部は地上から〇・七五メートル前部から後部に向け一・三メートル破損擦過し、さらに赤色塗膜が付着しており、助手席ドアから後部に向けて多量の泥が付着しているものの後部フェンダー下部バンパー取付部には泥が付着しておらず、後部ドアのガラスは破損脱落し、後部フェンダー下部が地上から〇・九五メートル、後部から前に〇・八メートルにわたり凹損し、後部角に赤色塗膜が付着していた。
<4> 車両後部の損傷状況
後部バンパーは脱落し、バンパーの左側には赤色塗膜が付着し、バンパー全体に多量の泥が付着し、左側の灯火類(制動灯、指示器)は脱落していた。
(3) 尾上車の損傷状況
<1> 車両前部の損傷状況
前部バンパーが曲損し、同バンパー左右が端から〇・六メートル凹損し、左側凹損部に黒色塗膜が付着し、前照灯、車幅灯、方向指示器は全て破損し、前部ボディーグリルは破損して車体が露出し、前部ボディーの地上から一・五メートル地点が凹損していた。
<2> 車両右側面の損傷状況
運転席ドア下部の前から後部に向け凹損擦過しており、ステップが破損し、右前輪タイヤの地上から〇・五一メートル地点のセンターキャップに毛髪一本が付着し、前輪ゴム製泥除け前面に、無数の肉片ようのものが付着しており、後輪タイヤ外側及び後部サイドバンパーに擦過痕があり、後輪金属製泥除けが地上から〇・九五メートルの地点で曲損し、ゴム製泥除け前面に油ようのものが付着していた。
<3> 車両左側面及び車両後部に損傷は認められなかった。
2 鑑定人中原輝史の鑑定結果の信用性
(一) 鑑定人中原輝史の鑑定結果(以下「中原鑑定」という。)及び同人の証言が示す事故態様は以下のとおりである。
(1) フチエ車は走行車線を走行中、後方追越車線を高速走行中の森田車の速度及び森田車と自車との間の距離についての判断を誤り、車線変更しようとして森田車前方に進入し、自車よりも高速走行中の森田車の左前角部によって自車右後部ドア側面に衝突され、慌てて左ハンドルにより回避しようとした。その衝突地点は、フチエ車が走行車線から追越車線にまたがった位置付近である。
(2) フチエ車は、左急ハンドルによって左急旋回右横滑り状態となり、そのため旋回状態のまま道路左側のガードロープや遮音壁に衝突し、森田車はやや右向きに直進進行し、南側のガードレールに衝突した。
(3) フチエの身体は、フチエ車の左急ハンドルによる左急旋回右横滑り状態による遮音壁への衝突後、別紙図面記載<ア>地点でフチエ車が停止するまでの間に、森田車が停止していた別紙図面記載<1>地点の西寄り追越車線上に、「左旋回―遠心力の作用―右前ドア開放」によって放出された。
(4) 尾上車は追越車線を時速一〇八・六キロから一二一・四キロで走行中、前方に森田車を発見して危険を感じて急制動の措置をとったが、車外に放出されていたフチエの身体を右前輪により礫過し、引きずりながら森田車と衝突し、<人>1地点においてフチエの身体を離脱させた。
(二) この中原鑑定は、前記の事故態様を認定する上での前提となる事実(特にフチエの身体の損傷状況、フチエ車及び森田車の損傷状況)を矛盾なく説明することができる上、その内容自体に格別不自然な点も認められないので十分信用に値するというべきである。しかしながら、崇典、三恵屋、尾上及び川元運送から右鑑定の信用性を争う主張がなされているので、以下それにつき検討しておく。
(三) 崇典及び三恵屋は、中原鑑定は、<1>フチエ車及び森田車への泥の付着状況を無視していること、<2>フチエ車の右後フェンダー側面が後方に深く徐々に凹んだ状態で、森田車の脱落状態の後部バンパーの左後部まで赤色塗料が付着するはずがないこと、<3>ガードロープの西側支柱には擦過痕しか付いていなかったのに、フチエ車の前部がこの支柱に衝突したとは考えられないこと、<4>遮音壁に残された痕跡は、フチエ車の後部の損傷状況と一致せず、フチエ車の前部によって印象づけられたものとしか考えられないことといった事情を挙げ、中原鑑定は信用できない旨主張する。
しかし、まず、<1>の点について、中原の証言によれば、中原は泥の付着状況を無視していたわけではなく、単に本件事故現場で付着したものとは考えなかったものであることが認められるところ、本件全証拠を総合してもフチエ車及び森田車に付着していた泥が本件事故現場で付着したものとは認めることはできない。また、<2>の点については、証人中原輝史が証言するとおり衝突時にほぼ同時に二点での衝突が生じることもありうるのであって不合理とはいえず、<3>の点についても前記認定のとおり、フチエ車が左急旋回をしながらガードロープの支柱に衝突したのであれば、このように擦過痕しか残らない可能性も十分あると考えられる。さらに<4>の点について、前記認定のとおりフチエ車の右後部には明確にガードロープによるものと認められる擦過痕等が残っていることが認められるのであって、バンパーに明確に擦過痕が認められないとしても、そのことをもって直ちにフチエ車後部が遮音壁に衝突したことを否定する理由とはなしえない。
したがって、これらの崇典及び三恵屋の主張は理由がないというべきである。
(四) また、尾上及び川元運送は、<1>尾上車は九〇キロ程度で走行していた野中車に追従して走行しており、さらに中原鑑定の前提としているごとく急ブレーキをかけ始めてから衝突するまでの間ブレーキを踏み続けていたのではないから、中原鑑定のいう尾上車の速度は誤りであり、<2>尾上車の車高からみて、尾上車がフチエの身体を引っかけることはあり得ない旨主張する。
しかしながら、まず<1>の点につき、野中車のスピードが九〇キロであったというのは野中の損害保険会社に対する説明(甲一〇)に出てくるのみで他にそれを裏付ける客観的な証拠はなく(尾上らが指摘する野中車の破損状況についても写真によって伺われる変型量をいうに過ぎず根拠としては薄弱である。)、野中は急ブレーキをかけ始めてからずっとブレーキを踏み続けていたのではないという点についても、右事実は同人の陳述書(丙一)及び尾上本人によって述べられてはいるが、同時に同人は森田車を発見してから衝突するまでの間にせいぜい一回ブレーキを緩めたに過ぎないとも供述しており、この供述によると、右ブレーキを緩めた行為をもって尾上車の制動に有意な影響があったとは考えられないのであって、結局、<1>の主張は採用できない。また<2>の点についても車外に放出された時のフチエの体勢がどのようなものだったか不明であるところ、フチエの体の向きによっては尾上車がフチエの身体を引っかけることも十分可能であるから、この主張も根拠に乏しいといわざるを得ない。したがって尾上及び川元運送のこれらの主張も理由がないというべきである。
(五) 以上より、右崇典、三恵屋、尾上及び川元運送の主張はいずれも中原鑑定の信用性を減殺するに足りるものではないといわざるを得ず、結局本件事故の態様については、前記中原鑑定の内容のとおりのものであったと認定するのが相当である。
3 事故原因及び関係者の責任
(一) 以上認定した事故状況によれば、本件事故における一連の衝突の発端は、亡フチエが走行車線から追越車線に車線変更するにあたり森田車と自車との間の距離及び森田車の速度についての判断を誤り、高速進行している森田車に注意を払わずに進路変更を行おうとした点にあり、亡フチエに右の過失があることは明らかである。
(二) 他方、森田も、走行車線を走行中のフチエ車に追従して高速道路の追越車線を走行するにあたっては、フチエ車の動きに注視する必要があったのに右義務を怠り、漫然高速進行した過失があったものと認められる。
(三) 一方尾上は、本件事故当時は夜間で本件事故現場付近は暗かったのであるから、大型車両を運転して高速道路を運転する際には十分車間距離をとり、制限速度を遵守すべき注意義務があったにもかかわらず、右義務を怠り漫然進行した過失により自車でフチエを礫過し、さらに森田車に自車を衝突させたことが認められる。
この点尾上及び川元運送は、前照灯の照射距離から考えて車間距離として五〇メートル程度をとっていたので走行方法は至当であったし、いくら制限速度を遵守し前方を注視していても前方での事件を発見、回避することは不可能であった旨主張するが、本件で認定される事実関係のもとでは、車間距離を十分に取った上で制限速度を遵守し、前照灯を上向きにしておれば前方での異常事態をより早期に察知して適切な措置を講じることができたといわざるを得ないので、右主張は理由がない。
(四) 以上認定される各人の過失の内容及び程度、本件事故に対する各人の過失の寄与の度合い及び本件事故態様等を総合考慮すると、過失相殺として、森田車の関係者に生じた損害を算定するにあたっては、認定された損害額から請求の相手方との関係で一割を、同様にフチエ車の関係者に生じた損害を算定するにあたっては、認定された損害額から請求の相手方との関係で八割を控除するのが相当である。
二 争点2(森田の損害)について(円未満切り捨て)
1 治療費 一五四万七四五九円
前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲二ないし七、一七ないし一九[枝番含む]、弁論の全趣旨)によれば、森田は、本件事故による受傷の治療のため恒生病院に一一六万二七九九円、多根病院に三八万四六六〇円の治療費をそれぞれ支払ったことが認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する森田の治療費としては標記金額をもって相当と認める(請求どおり。三恵屋は概ね認めるとの認否をしている。)。
2 入院雑費 一四万四三〇〇円
前記争いのない事実等(第二の一)記載のとおり、森田は、本件事故による負傷の治療のため、恒生病院で九日間、多根病院で延べ一〇二日間の入院治療を受けた。本件事故と相当因果関係を有する入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円が相当であるから、森田の入院雑費は、標記金額をもって相当と認める(請求どおり。三恵屋は概ね認めるとの認否をしている。)。
3 付添看護料 四万五〇〇〇円
前記争いのない事実等(第二の一)記載の森田の受傷の内容、程度に照らすと、森田は恒生病院入院期間中は、付添看護を受ける必要があったものと認められ、証拠(甲三七、森田本人)によれば、右入院期間中、家族が付き添っていた事実は認められる。そこで、本件事故と相当因果関係を有する森田の付添費用としては、右入院期間九日間にわたり一日当たり五〇〇〇円が相当であるから、付添看護料は、標記金額をもって相当と認める(請求どおり。三恵屋は概ね認めるとの認否をしている。)。
4 義肢購入費 一三万九五一一円
前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲二〇1ないし3、二一)によれば、森田は本件事故による傷害の治療のため医師の指示により義肢を装着し、その費用として、一三万九五一一円を支出したことが認められる。したがって、右金額をもって本件事故と相当因果関係を有する義肢購入費と認める(請求どおり。三恵屋は概ね認めるとの認否をしている。)。
5 休業損害 三二六万六五八五円
(一) 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲二五ないし二七、二八1ないし4、三三ないし三七、森田本人、弁論の全趣旨)によれば、森田は本件事故後平成八年六月一八日までの間は就労不能であったこと、本件事故当時、森田は訴外森田組の代表取締役の地位にあり同組から一か月四〇万円(一日当たり一万三三三三円)の収入を得ていたこと、本件事故により森田が就労できなくなったため平成六年五月三一日をもって訴外森田組は解散され、森田は右解散後は訴外森田組からの収入を得ることができなくなったことがそれぞれ認められるものの、森田は、本件事故後も継続して森田組の代表取締役の地位にあり、森田組からの収入は、本件事故当時一三〇万円であったが、平成七年二月以降は一か月二〇〇万円、同年一二月以降は三〇〇万円というように、失った訴外森田組からの収入を補って余りあるほどに増大したことが認められる。
以上の事実からすれば、本件事故後平成六年五月三一日までと平成七年二月一日以降は森田に現実の収入減はなかったというべきである。したがって、森田の休業損害としては、平成六年六月一日から平成七年一月三一日までの二四五日間につき一日当たり一万三三三三円を乗じた標記金額が相当であると認められる。
(二) この点につき三恵屋は、森田の就労不能と訴外森田組の解散との間には相当因果関係がなく、また、森田の訴外森田組からの収入は役員報酬部分が相当割合を占め労働の対価とはいえないとして、森田の休業損害は認められるべきではないと主張する。
しかし、まず前者の点については、証拠(甲二五、二六、三三ないし三七、森田本人)によれば、本件事故当時、訴外森田組は役員は森田の親族のみで、その業務は事実上森田が一人で行っており、森田が就労不能になれば直ちに業務遂行が困難になる状態であったことが認められるから、森田の就労不能と訴外森田組の解散との間には相当因果関係が認められるというべき(したがって森田が訴外森田組から収入を得られなくなったことも森田の就労不能と相当因果関係があると解される。)である。
次に、後者の点についてであるが、証拠(甲二二1、2、二五、二六、三三ないし三七、森田本人)によると、訴外森田組の業務は一戸建て住宅などの小規模な建物の解体工事を請負って下請の業者にさせることであり、その従業員としては森田とその妹である訴外松鵜定子しかいなかったこと、訴外森田組の営業活動や見積作業、現場監督の業務は全て森田が行っていたこと、森田が就労不能となったとたん訴外森田組は解散に追い込まれたこと、森田は訴外森田組からの収入を給与所得として申告していたことが認められる。以上の事実からすれば、森田が代表取締役という立場で訴外森田組から収入を得ていたとしても、利益配当等の性格を有するものではなく、実体は労働の対価であると解するのが相当であるから、就労不能になったために得られなくなった収入は休業損害とするのが相当である。
6 後遺障害逸失利益 〇円
(一) 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲一六、二三、三七、森田本人、弁論の全趣旨)によれば、森田は平成八年六月一八日に症状固定の診断を受けたこと、森田の右下肢は左下肢よりも約二センチ短縮したこと、腰部の運動障害が残ったこと、現在においても方向感覚がないことや立ち上がるのが困難であるといった症状を訴えていること、大阪府から四級の身体障害者の認定を受けていたこと、森田は自動車保険料率算定会の認定において後遺障害等級一二級五号及び一三級九号の後遺障害が認定され、併合一一級とされたことが認められる。以上の事実を総合すると、森田は平成八年六月一八日に症状固定となり、後遺障害等級一二級五号及び一三級九号の併合一一級の後遺障害を残したものと認められる。
(二) 他方、前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲二四ないし二七、二八1ないし4、三三ないし三七、森田本人、弁論の全趣旨)によると、森田は、本件事故当時、森田組から月額一三〇万円、訴外森田組から月額四〇万円の収入を得ていたこと、森田は本件事故後も引き続いて森田組の代表取締役の地位にあり症状固定時には月額三〇〇万円、現在も月額二〇〇万円の支払を受けていること、森田組からの収入については森田がほぼ独断で決められること、森田は今後も森田組の代表取締役として収入を得ることができる見込みであることがそれぞれ認められる。以上の事実からすれば、右(一)の認定のとおり森田に後遺障害が残ったことは認められるものの、これによる逸失利益は認められないものといわざるを得ない。なぜなら、不法行為による損害賠償制度は損害の公平な分担をその理念としているところ、事故により後遺障害が発生しても、それによって現実に収入の減少が生じない以上、本人の特別の努力により減収を免れているなどの特別の事情がない限り、加害者に負担させるべき損害は生じていないと解されるからである。
7 入通院慰謝料 二〇〇万円
前記争いのない事実等(第二の一)記載の森田の負傷の内容及び程度、入通院の期間、実通院日数その他本件弁論に現れた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。
8 後遺障害慰謝料 三四〇万円
前記認定の森田の後遺障害の内容及び程度、前述の通り森田には後遺障害逸失利益が認められないこと、その他本件弁論に現れた一切の事情を考慮して右金額をもって相当と認める(請求どおり。)。
9 森田の損害のまとめ
(一) 小括
以上認定のとおり、本件事故と相当因果関係を有する森田の損害(弁護士費用を除く)は、一〇五四万二九四五円となり、この損害額から前記認定の過失割合一割を控除した上、前記争いのない事実等(第二の一)記載の自賠責保険からの既払金九〇二万円を差引くと、森田の三恵屋、尾上及び川元運送によっててん補されるべき損害額(弁護士費用を除く)は四六万八六五〇円となる。
(二) 弁護士費用
森田が本件訴訟を遂行するに際して弁護士にその訴訟活動を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、事件の内容、立証の難易、認容額の程度等本件弁論に現れた一切の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有する弁護士費用は、一〇万円をもって相当と認める。
三 争点3(森田の債権の消滅時効)について
たしかに、森田は、甲事件訴状において、三恵屋に対し、本件事故による損害賠償請求権について、内金一〇〇万円として請求した(当裁判所に顕著)。しかしながら、右請求をもって、一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨が明示されているとはいえない。なぜなら甲事件訴状において、森田は、「治療の経過を見ながら後日請求の拡張をする予定である。」との記載をした上、内金請求をしているところ、かかる場合には不法行為損害賠償請求権の特殊性に鑑み、特に残部は当該訴訟では請求しない態度が明らかにされていない限り、森田の人身損害に関する損害賠償請求権は、甲事件の訴え提起時において、全部について時効中断の効力を生じたものと解するのが相当であるからである。したがって、三恵屋の主張は理由がないというべきである。
四 争点4(森田組の損害)について(円未満切捨て)
1 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲二四、二七、二八1ないし4、二九ないし三二、三七、森田本人、弁論の全趣旨)によれば、森田組には本件事故当時、森田以外に従業員が一六から一七名いたこと、森田は本件事故日以降も現在に至るまで森田組の代表取締役の地位にあること、森田組から森田に支払われる金員の額については、商法の定めに従うのではなく、森田の裁量で決めることができたこと、森田は本件事故により本件事故日(平成六年三月九日)から平成八年六月一八日までの間は休業せざるを得なかったこと、右森田の休業期間中も森田組は従業員の判断できる範囲で仕事を引き受けて処理していたこと、森田は休業期間中である平成六年三月から平成七年一月までは月額一三〇万円を、同年二月から同年一一月までは月額二〇〇万円を、同年一二月から平成八年六月までは月額三〇〇万円を森田組から受け取っていたこと、がそれぞれ認められる。
2 以上の事実によれば、森田組から森田に支払われた右金員は、森田の労働の有無、程度に完全に比例するものではない上、商法の定めに従うのではなく、代表取締役たる森田のほぼ独断で決められていたものであって、会社の規模等に鑑みれば月額一〇〇万円分については労働対価部分であると認められるが、これを超える分については、利益配当としての性格を有するものであったというべきである。そうだとすると月額一〇〇万円を超える分の支払についてはそもそも会社が加害者に代わって森田の損害をてん補したということはできない性質のものであるから、この部分については森田組以外の第三者に負担させるべきものとは解されない。
しかし、右のとおり、森田組から森田に対する従前の支払のうち月額一〇〇万円分については、森田の現実の労働の提供に対する対価としての性格を有するものであるから、右のうち加害者の過失割合に対応する部分は、従業員の就労不能後、森田組からその従業員に対して支払うべき義務のない賃金が支払われたのと同様に、森田が就労不能になった後、森田組は支払うべき義務がないにもかかわらず、いわば加害者の損害賠償債務を立替払する形でこれを森田に支払ったものと評価できる。したがって、左記計算のとおり森田組は、平成六年三月九日から同八年六月一八日までの分として森田に支払った金員のうち二四六二万九九九九円を事務管理に基づく費用償還請求権として請求できることになると解される。
{一〇〇万円×二六+(一〇〇万÷三〇)×四一}×〇・九=二四六二万九九九九円
3 なお、森田組は弁護士費用の請求もしているが、事務管理は社会的な連帯を尊重する制度であって、費用償還請求権の対象となる「本人のため有益なる費用」には、その性質上事務管理者が本人に事務管理費用を請求するための弁護士費用は含まれないと解されるので、弁護士費用は請求できないものと解するのが相当である。
五 争点5(森田組の請求権の消滅時効)について
崇典及び三恵屋は、森田組の請求は、給料債権を基にする償還請求権であるから、民法一七四条二号に従い償還請求権の発生した時から一年で消滅時効が完成する旨主張する。しかしながら、右事務管理によって発生する費用償還請求権は、給料債務とは別個の法律要件である事務管理を原因として新たに発生する権利であるから、支払の基になった法律関係とは別個の新たに発生する権利として時効期間も考えられるべきである。そうだとすると、森田組が株式会社であることは当事者間に争いのない事実であるから、右費用償還請求権の消滅時効期間は商法五二二条及び同法五〇三条に従い、費用償還請求権の発生したときから五年であると解するべきである。そうだとすると、本件においては事故日以降の森田組の森田に対する支払のみが事務管理として主張されており、いずれの費用償還請求権についても時効期間が完成していないことは明らかであるから崇典及び三恵屋の消滅時効の主張は理由がない。
六 争点6(日本火災の代位権)について
(一) 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲八ないし一〇[枝番含む]、一一、一三、一五、三八、検甲三一ないし四六、乙一四1、2、森田本人、弁論の全趣旨)によれば、本件事故当時、日本火災は森田組との間で森田車(所有者森田)を被保険車両として、車両価格協定付車両保険を締結していたこと、本件事故により森田車は全損となったこと、日本火災は、平成六年六月二九日、右車両価額協定付車両保険契約に基づき森田に対して六〇〇万円を森田の請求により森田組の口座に振り込んで支払ったこと、がそれぞれ認められる。
(二) 以上の事実からすれば、日本火災は、商法六六二条の規定に基づく保険代位により、森田の有していた森田車の損害についての損害賠償請求権に代位できると解されるところ、森田車の時価は本件事故当時少なくとも四〇〇万円であったと認められること(甲八2の1ないし3、八3、弁論の全趣旨)から、森田の車両損傷による損害は四〇〇万円であると認められ、ここから前記認定の森田の過失割合一割を控除すると、三六〇万円となる。
(三) 日本火災がその権利行使のため、弁護士に委任して甲事件及び丁事件を提起しその訴訟活動を遂行せしめたことは当裁判所に顕著な事実であるところ、弁護士費用は、保険代位した債権の性質に鑑み、その相当額を崇典、三恵屋、尾上及び川元運送に負担させるのが相当である。そして、本件事案の内容、立証の難易、審理の経過及び認容額の程度等本件弁論に顕れた一切の事情を考慮し、三五万円をもって相当と認める。
七 争点7(亡フチエの死亡による損害)について(円未満切捨て)
1 死亡による逸失利益 四六六五万一七九二円
(一) 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(乙四、六ないし九[枝番を含む]、一九、弁論の全趣旨)によれば、亡フチエ(死亡当時七二歳)は事故前は三恵屋の代表取締役及びタニ工芸株式会社(以下「タニ工芸」という。)の取締役の地位にあり、平成五年には三恵屋から九二〇万円を、タニ工芸から一八〇万円を得ていたこと、三恵屋は、従業員数一二名で亡フチエはその代表取締役として営業一切を切り盛りしていたこと、フチエ死亡後三恵屋は実質上営業廃止とされたこと、亡フチエは生前年金収入として、年額で合計三一二万〇六九七円(内訳は、厚生年金二一三万七四三二円、郵便年金九八万三二六五円)を得ていたこと、亡フチエは夫の死亡後は一人暮らしであったこと、がそれぞれ認められる。
(二) 以上の事実から、フチエの死亡による逸失利益の算定における基礎収入は、三恵屋から得ていた年額九二〇万円と、年金収入年額三一二万〇六九七円であるとするのが相当である。タニ工芸からの収入については、亡フチエが同社において実際に業務を行っていたとは認められず、亡フチエの死亡によって同社からの収入が得られなくなったとも認められないので、基礎収入とすることはできないものといわざるを得ない。そして、本件事故当時七二歳であった者の平均余命が一五・一八年とされていることは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事故がなければ、亡フチエは少なくとも本件事故当時から八年間は就労可能であり、一五年間は年金を取得し続けることが可能であったと認められる。なお、三恵屋からの収入と年金収入の性質の相違、亡フチエの生前の生活状況等を考慮すると、生活費控除率は、三恵屋からの収入については四割、年金収入については七割とするのが相当である。そこで、先に認定した基礎収入に、右生活費控除率及び三恵屋からの収入については八年の新ホフマン係数、年金収入については一五年の新ホフマン係数を乗じて、本件事故と相当因果関係のある亡フチエの逸失利益の本件事故当時の現価を算出すると以下の通りとなる。
九二〇万円×(一-〇・四)×六・五八九+三一二万〇六九七円×(一-〇・七)×一〇・九八一=四六六五万一七九二円
2 葬儀費用 一五〇万円
前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(乙一六1、2、一七1、2、一九、弁論の全趣旨)によれば、崇典は亡フチエの葬儀関係費として、株式会社ベルコに三七〇万三六七四円、花香房に対し三五万円を支払ったことが認められる。以上の事実及び亡フチエの生前の生活状況、収入額その他本件弁論に現れた一切の事情を考慮して、右金額をもって本件事故と相当因果関係のある葬儀費用であると認める。
3 死亡による慰謝料 二〇〇〇万円
本件事故の態様、亡フチエの死亡当時の年齢、亡フチエの生前の生活状況等本件弁論に現れた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。
4 フチエの死亡による損害のまとめ
以上を総合すると、フチエの死亡による損害は合計六八一五万一七九二円となり、右金額から前記認定の亡フチエの過失割合八割を控除すると森田、森田組、尾上及び川元運送が負担すべき損害額は一三六三万〇三五八円となる。そうすると、前記争いのない事実等(第二の一)記載の自賠責保険からの既払金によってすべてフチエの死亡による損害はてん補されていることになる。したがって、崇典のフチエの死亡による損害についての損害賠償請求はいずれも理由がない。
八 争点8(フチエ車の損傷による損害)について
1(一) 前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲一四、検甲五三ないし六一、乙三、一〇、一八1ないし4、一九、弁論の全趣旨)によれば、本件事故によりフチエ車は全損となったこと、本件事故当時のフチエ車の交換価値は一一五〇万円であったことが認められる。以上より、フチエ車の損傷による損害は一一五〇万円であると認められる。
(二) この点につき森田及び森田組は、甲三九ないし四一を根拠に、フチエ車の本件事故当時の交換価値はもっと低いはずであると主張する。しかしながら、甲三九(飯塚弘隆作成の陳述書)の内容は、飯塚がコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドから、フチエ車はいわゆる並行輸入車であるから本件事故当時二〇〇万円ないし三〇〇万円台で売れれば上々と考える旨の回答を得たというものであるところ、コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドはいわゆる並行輸入車は取り扱いしておらず、フチエ車の本件事故時の価額についての右回答は、これをただちに信用することはできないといわざるを得ず、甲四〇及び四一は、オークションにおける落札価格を記載したものではあるが、オークションの対象者が不明であるなど、記載されている金額が時価を適正に反映したものであるとは直ちに断定しがたい。したがって、森田及び森田組の右主張は採用できない。
2 以上より、フチエ車の損傷による損害は一一五〇万円となり、前記認定の亡フチエの過失割合八割を控除すると、森田及び森田組が負担すべき損害額は二三〇万円となる。なお、崇典は、乙事件を提起し訴訟活動を遂行するにあたり弁護士にその訴訟活動を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、事案の内容、立証の難易、認容額の程度その他本件弁論に現れた一切の事情を考慮して二五万円をもって相当と認める。
九 結論
以上のとおりであるから、森田の請求は、三恵屋、尾上及び川元運送に対して、各自金五六万八六五〇円及び内金四六万八六五〇円に対する平成六年三月一〇日から、内金一〇万円に対する訴状送達の日の翌日である(記録上明らか)三恵屋については平成八年八月一九日から、尾上については同月二二日から、川元運送については同月二〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり、森田組の請求は、崇典、三恵屋、尾上及び川元運送に対して、各自金二四六二万九九九九円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である(記録上明らか)崇典、三恵屋については平成九年三月二九日から、尾上、川元運送については同年四月一〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、日本火災の請求は、崇典、三恵屋、尾上及び川元運送に対して、各自金三九五万円及び内金三六〇万円に対する平成六年六月三〇日から、内金三五万円に対する訴状送達の日の翌日である(記録上明らか)崇典については平成九年七月二日から、三恵屋については平成七年八月一九日から、尾上については同月二二日から、川元運送については同月二〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、崇典の請求は、森田及び森田組に対して各自金二五五万円及びこれに対する平成六年三月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 松本信弘 山口浩司 大須賀寛之)
交通事故現場見取図